【東京戦を見て思い出したこと】
【スポンサーリンク】
勝ちましたね、東京戦。
現地ににはいけなかったのですが、(行くつもりだったのに。。。。)
久しぶりにリアルタイムで試合を90分見ることができて、
しかも勝てて、満足なのです。
で、何よりも驚いたのが、サポーターの多さ。
たぶん大阪からもたくさん観戦に来られてるんだろうけど、
それと同じくらい関東在住の方も多いんだろうね。
(特に若い女性が多くて、「いいニオイがしそうだな、おい」ってつぶやいてしまったことは内緒です 笑)
↑我が目をうたがうこの密度。
個人的に味スタっていい思い出がなくて、いつも負けて京王線に乗った記憶しかない。
といっても最後に行ったのがずいぶん前なので、
今はどんな感じなんだろう。
で、上記の写真を見て、思い出したのが、2001年11月3日、
セレッソが初めて降格が決まった試合の事。
あの有名な、「さよならセレッソ」をやられた試合です。
当時も僕は現地に行けなくて、
テレビで試合観戦してたんだけど、
順位的にもぶっちぎり、
試合にも2-5で負けて、
当たり前のように降格が決まって、
普通なら「なんやねん」って思ってもおかしくない試合だったんだけど、
不思議とそんな気持ちにはならなかったんですよね。
テレビを通じて、
田坂さんやモリシの必死な顔、
50人もいないけど、必死で応援するサポーターの方たちの姿を見たから。
特にサポーターの方たちは、試合が進むにつれ、絶望的な状況になる中でも、
雨の中ずっと「セレッソ大阪」コールを続けていて、
また、その時に選手がユニフォームの下に着ていた、
「NEVER STOP NEVER GIVE UP THIS IS OSAKA SPRITS」
のTシャツが雨で透けて見えて、
なんか、「プロの選手とサポーターだな」って思った記憶があり、
試合終了後、テレビの前で号泣していた17歳でした。
(文法的に崩壊していますね↑)
今日はかなり若い女性がいたようだし、
昔の方がよかったなんてさらさらいう気はないけど、
純粋に、セレッソの歴史の中に、
こういう出来事があったなってことを思い出したのでした。
で、前回のブログにも書いたけど、
その時に在籍した岡山選手がサポーター向けに講演会をしてくれます。
少しでも興味のある方、ぜひお越しください!
11/17(日)17時30分~@キンチョウスタジアム会議室
「岡山劇場をなぜはじめたのか?」
【ポジション】DF
【出身地】大阪府
【身長/体重】186cm/74kg
【経歴】初芝橋本高校-横浜マリノス/横浜F・マリノス-大宮アルディージャ-横浜F・マリノス-セレッソ大阪-川崎フロンターレ
試合前後に行われるマイクパフォーマンス(通称「岡山劇場」)はJリーグファンにはあまりにも有名で、