2つのタイトルと、過去と未来と
【スポンサーリンク】
※2つ目のタイトルの夜空に綺麗な月
「今までの数十年は何やったんや?」
そういう言葉が浮かぶぐらい強かった。
いい意味で想像を裏切られ続けた2017シーズンだった。
ルヴァン杯の決勝のときは、試合前・試合中と、
昔からの人とサポート・一緒に応援できるできる喜びを感じていた。
ロスタイムに入った時に、勝利を確信してウルってきたものの、ソウザのゴールでは意外に冷静だった。
タイムアップの笛を聞いたときに、タイトルを待ち望んだいたセレッソファンの方々の顔が浮かび、岡野前社長、次に永井くん、扇原くん、そしてフォルランはどう思うか?みたいな考えが浮かんでは消えていった。
帰り道、タイトルを取ることで、自分の中で大きく何かが変わるかな?と思ったけど、意外に普通だな、と思った。
安堵の気持ちが強かったせいかもしれない。
天皇杯は「14年前の忘れ物を取りに行く」とか公言してたくせに、これまた冷静だった。
さすがに山村くんのゴールのときは、叫んだけど。
2012年ホームダービーのケンペスの決勝点、最終戦の横山の同点ゴール
2014年アウェイ神戸戦のフォルランのゴール
2015年PO決勝の玉田のゴール、2016年PO決勝の清原のゴール
そして2017年ルヴァン準決勝アウェイダービーの木本のゴールほどではなかった。
・家族と一緒だから?
・自分自身の身体を使って応援してなかったから?
・強さになれてしまったから?
いろんなことが浮かんだけど、1つ確実に言えるのは、
「時間が不可逆で、やり残したことは取り戻せない」
ということ。
天皇杯を取れたことは本当に嬉しかった。
「もう死んでもいいや」
「セレッソからはもう卒業かな」
と思えるくらい嬉しかった。
けど、その嬉しさを持ってしても14年前の悔しさは消える事はない。
だからこそ、今も昔も、
「今できる人が、今できることを、後悔が残らないくらい思いっきりやる」
って事が大事なんだな、と思った。
「好き」を素直に表現すればいいし、
選手やチームをよく見てサポートすればいい。
クラブが大きくなるのはもちろんいいことだけど、
それにともなって、サッカー観戦の「原点」を忘れそうになり、
2017年はJFLやFリーグ、セレッソのスポーツクラブの試合を比較的見た。
幸いにも「原点」はまだそこにあった。
セレッソがきっかけで、人生を広げてもらった身分としては、
もっともっと強く、大きく、そして継続的によくなっていってもらわなきゃ困る訳で。
最初のタイトルを運動会トロフィーのような扱いにされたり、
勝利の試合後の選手をスタンディングで迎えようとしたら注意・制止させられるスタジアムじゃ嫌だなと思ったり。
「セレッソに乗っかる人生で何が悪い」
とか思ったりする正月3が日。
タイトル獲ったから終わり!
じゃなく、
ファン・サポーターがまだまだやりたいことは山ほどあるよね!
と再認識した2018年の始まり。
自分の手を離れた方が、結果的によかったこともあったりするから面白い。