SAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログ

元ゴール裏住人が、選手に一番近いSAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログです。普通の人よりセレッソ大阪を好きだけど、人生をかけるほどではない。単に好き。それ以上でも以下でもない。

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15年後の5月

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ちょっと古い話になるんだけど、 讃岐戦のTV中継のなかで、 セレッソサポーターの談話として、 「我那覇選手にはゴールを決められたくない」 というのが紹介されてた。 実況の人も、解説の人も、レポーターのひとも、 「なんででしょうね?」 って感じだったのだけど、 僕は、 「知らないんだ!?」 と驚いてしまった。 知らない人のために説明すると、 2000.5.27 いわいる1回目の長居の悲劇の、 川崎フロンターレの先制点を決めたのが我那覇選手なのだ。 小雨が降って、いつもと違うスタジアムの雰囲気のなかで、 どこかフワフワとした雰囲気のまま前半が終わり、 後半開始すぐに、 向こう側のゴールに向かって右足でズドン! GKの下川誠吾選手が、一歩も動けなかったのを覚えている。 (記憶違いならカッコ悪い) その試合の結末はみなさんご存知のとおり。 2000.5.27に 興味を持たれた方、当時あの場にいた方は、 Remember527 2000年5月27日を忘れないために http://remember527.com/ というサイトがあるので、 ご覧になってみてはor応募してみては? 今年は2015年だから、あれから15年になる。 僕自身は、 なんども繰り返すけど、 歓喜の瞬間のために準備されたピンクの紙テープが 敗戦を決める、浦田選手のVゴールのすぐあとに、 ピッチに投げ込まれ、 悲しくて、悔しくて、頭が真っ白だったけど、 スタジアムを舞う、無数の紙テープが妙にキレイだったのを覚えている。 知ってるから偉いとか、 知らないとかダメだとか、 そういう話ではなく、 サポーターが代々語り継いでいくべき話って他にも沢山あると思う。 そういえば、あのとき一緒に闘った方々は元気されているんだろうか? まだ、サッカーを、セレッソを好きでいてくれているんだろうか? 2024年からふりかえった2014年シーズンは、 なんて語られているんだろうか? そのときまでにはタイトルは獲れているんだろうか? 僕たちが、 次世代に語り継いでいきたいことはなんだろう? 語り継がなければいけないことはなんだろう? そんなことを考えてしまった、15年後の5月の忘備録。