被災地に行ってきました〜出発前夜〜
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■出発前夜
1.きっかけ
えらそうにブログなんか書いていますけど、
実は震災が起こってから1年ちょっとまでは、全くの「他人事」でした。
「被災地から遠く離れた僕には何もできることなんてない」とか、
「とりあえず募金しておこう」くらいにしか考えてませんでした。
むしろ、震災直後に回ってきた
「節電して関東に電気を送りましょう」
というメールには「イラッ」としていたくらいでした。
「思い上がらないこと。」
それが今回の震災で僕が思ったことでした。
学生時代にお世話になった西宮市議会議員の方に、
(http://xdl.jp/diary/?date=20110313)
阪神大震災のときのご自身のお話を繰り返し伺っていたこともあって、
ひたすら思い上がらないように。ただただ被害が大きくならないように祈る。
それが当時の自分がしていたことで。
でも実際には何もしていないんですよね。
ただただ、震災関連の情報に触れるのが怖くて、正直テレビをつけるのもイヤでした。
(ちなみに、いまでも震災関連の報道を見るのは苦手です。)
また、当時姉一家が横浜に住んでいたのですが、
「なんだか大変そうだなぁ」くらいにしか、考えていませんでした。
そんな日々のなかで、2012年のゴールデンウィークに、当時農業に携わるため全国をさすらっていた友人のNくんとお会いする機会がありました。
そこで、被災地の様子をいろいろと聞いて、ちょっと「行ってみたいな」と思いました。
本当に勝手な話ですが、「行ってみたいな」というのは、
現地に行くことによって、「他人事」であったことが、
ちょっとは身近に感じることができるんじゃないか。
そう思ったからです。
正直に告白すると、それまで「ボランティア」って偽善だと思っていました。
自分がしたこともないのにね。
だからこそ、震災直後も何もしませんでした。
でも、現地にいくことで、いろいろなものを肌で感じて、いろんなことを考えたら、
自分の中で何かが変わるきっかけになるかも、と思いました。
でも、情けないことにそんな思いは、忙しい日々の中で、
だんだん忘れ去られていきました。
2.転機
そんな中で、「行きたいなぁ」から「行こう」に変わる出来事がありました。
それは、2012・11・7のJリーグ、ベガルタ仙台VSセレッソ大阪の数日後のことです。
当時は仕事が忙しく、サッカーの事を考える時間がなかなか取れなかった僕は、
珍しく仕事が早く終わった日に、サッカーを補充するために、
セレッソファンが集うラーメン屋さん
「鶴橋ラーメン食堂・鶴心」さん(http://www.hatsukame.co.jp/ji0_tsurusin_abiko.htm)を訪れました。
そこで、長年影響を受けているセレッソファンのMさんとTさんとお話し、
FOOTBALL FOUNDATION OSAKA(http://osaka.footballfoundation.jp/)や、
お好み焼きCHANTさん(http://chant578.com/)の活動に、
はじめてきちんと興味を持つようになりました。
「支援を続けることが大事」「とにかく行ってみろ」というMさんの言葉や、
「被災地なんて行ってみないとわからないです」というTさんの言葉に、
被災地に行く決意を固めました。
ただ、「行く」と決めたものの、
「どうやっていけばいいのか?」
「どこへ行けばいいのか」
はわからずじまいです。
そこで、CHANTさんにお話を伺ったり、
セレッソファンのIさんに、
ちょんまげ被災地支援隊大阪支部のIさんやAさんを紹介していただき、
いろいろなお話を伺いました。
そして、セレッソサポーターのHくんとFくんが、
寄せ書きとともにセレッソ大阪のフラッグを寄付した、
伊里前復興商店街にだけは立ち寄ることを決めました。
今だからこそ思いますが、
あの時鶴心さんでMさんやTさんに会わなければ、
そして、HくんとFくんがセレッソフラッグを寄付していなければ、
IさんとAさんにお会いしなければ、
現地に行くこともなければ、ここまで関心を持たなかったと思います。
恥ずかしいですが、これが事実です。
3.出発前夜
とりあえず1人で行くのは無理だと判断したので、
さすらいのNくんと会ったときに、
「自分も行ってみたい」
と言っていた学生時代の仲間のTさんに声かけをしました。
そして、Tさんがライフワークとしている活動で知り合った仙台在住のKさんが、
なんと現地ガイドをしてくれることに。
とりあえず、伊里前復興商店街だけは行きたいとの要望を出して、
あとの行程はすべてKさんにお任せしました。
航空券は往復で25000円くらい。
宿泊費は2日で11000円くらい。
また、仕事もなんとか1日の休みを確保し、
家族も気を遣って僕が被災地に行っているあいだは、
実家に帰省してくれるとのことで、
年明けの3日間に被災地に行くことが正式に決まりました。