SAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログ

元ゴール裏住人が、選手に一番近いSAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログです。普通の人よりセレッソ大阪を好きだけど、人生をかけるほどではない。単に好き。それ以上でも以下でもない。

【スポンサーリンク】

【イベントレポート】サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~(蹴球堂オーナー・伊庭雅浩氏@2014年開催)

【スポンサーリンク】

f:id:restart0814:20190925110559j:plain

全体

 ●はじめに
―講演に入る前に、伊庭雅浩氏とは?ー
~「サポーターとは何かをみんなで考えていきたいです」~

 


(司会より)

今日の講師の紹介です。
東京からお越しの伊庭雅浩さんです。
東京のスカイツリーの近くに住んでいます。
43歳、エースという方、赤松さんと同い年です。
・サポーター第一世代
セレッソ大阪最初のサポーター
・蹴球堂のオーナー
・テリ子という愛犬がいる。
それではよろしくお願いします。

 

 

(伊庭氏、以下略)
こんにちは。
伊庭です。
知ってる顔も初めての方もいますね。
初めての方は?

・・・・・2人ぐらいですかね。

セレッソのサポーターのトップだとは全然思ってないです。
はじめに作ったとも思ってないです。

今日はサポーターとは何かをみんなで考えていきたいです。

タイトルは「サポーター・アイデンティティ
僕がつけた訳ではありません。

特に歴史の話をします。
ほとんど原稿も資料もないのでアドリブでいきます。
ヤジをいれてください。
ITが好きなのでMaciPhone使います。

 

 ―自己紹介
~「サポーター生を設計しよう」 「職業サポーターにならない」 「あまり背負わず楽しもう」~

 


伊庭雅浩です。
珍しい名前ですが出は愛媛です。
子供の頃は画数が多すぎて書けなかったです。

dobro代表と蹴球堂のオーナーをやっています。
SNStwitter:@masahiroiba Facebook:masahiroiba)もぜひフォローお願いします。

大阪生まれ、大阪育ちです。

6年前から東京のスカイツリーのあたりに住んでいます。
毎日スカイツリーや犬の写真をアップするのが趣味です。

ボランティアもやっています。
2002年からボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアへのボランティアをしています。
東京でコソボへのボランティアをやっています。

セレッソが好きなので試合をよく見ます。

今は中々難しいですが、若いころは年間250試合見ていました。
若いころの思い出が沢山あります。

好きなクラブはエバートンインテルです。
ピンクのクラブと似ていて、強い時と弱い時の波が激しいです。

蹴球堂、dobroの代表、オーナーをしています。みなさんのご愛顧のお陰です。改めてありがとうございます。

とは言え、すごいと思わないでください。フツーの社会人です。みなさんと同じです。東京の会社の部長です。


今日伝えたいことは3つあります。
1つ目は「サポーター生を設計しよう」
2つ目は「職業サポーターにならない」
3つ目は「あまり背負わず楽しもう」
今日伝えたいのはこの3つです。

 

 ー考えたこと、思ったことはすぐに行動に移そう

~「尊敬している父親から、記事を見せられて、「やらんでええんか?」と言われました。それで、やらなあかんな、となりました。 」~
~「ノンアポで、ヤンマープロサッカー推進室にいきました。
ドアを開けて「サポーターになります」と言ったのが最初です。」~

 


サポーターになったきっかけですが、
僕は大阪で生まれ育ちました。
1992年にJリーグが開幕しました。
当時、大阪のサッカー好きは青と黒のクラブの応援に行っていました。
みなさんも万博に行ったことあると思います。
僕たちのサッカーの見方が変わってきた時代です。
プロ化によってサポーターも変わりました。
1993年夏、産経新聞にヤンマーがプロサッカークラブを作るという記事が出ました。
父親が私に載っているという話をしました。

 

●父・昭文さん


2年前に亡くなりました。
B型で無骨で一生懸命な人でした。

父親は野球をやったことないのに、少年野球の監督になりました。
大阪の予選に出たことも無いチームで全国大会優勝すると言い続けました。

アホやなと思いながら見ていましたが、5年後、実際に優勝しました。

それから尊敬しています。


その父親から記事を見せられて「やらんでええんか?」と言われました。
それで、やらなあかんな、となりました。
その父親の一言がきっかけです。

ヤンマーは1993年1部7位。
天皇杯でもあっさり負けるぐらいのチームです。
プロになったらすごいとは思っていたが大丈夫かなと思っていました。

当時自分も23歳で、働いていました。
何かしないといけないと使命感を感じました。

翌日、ノンアポで梅田の茶屋町の、

ヤンマー本社の裏の、ヤンマープロサッカー推進室にいきました。
ドアを開けて「サポーターになります」と言ったのが最初です。

周りの人は「あ、そうなんですか」と驚いていました。
当時の室長の玉田さんが色々教えてくださいました。
ドアを開けてなければ何も始まっていませんでした。

ドアを開けさせてくれた新聞や父親など、きっかけだなと感じました。

玉田さんとはしばらく会っていませんでした。
3年前に西澤さんの引退パーティの時に、10数年ぶりに再会しました。久しぶりに出会えてよかったです。

去年、赤松さんからセレッソの女子の試合を観に行けと言われました。
恥ずかしいので、こそっとしていましたが、
15年振りくらいで会った(現セレッソの)社長の岡野さんから「お前なにしてんねん」と言われました。
「お前老けたな」と。
岡野さんとは20歳差ぐらいです。むこうは爺さんですね。

話はそれましたが、プロサッカー推進室にいったのがきっかけです。
その後色々な人がサポーターになってくれました。
組織になると、いろんな問題が起こります。
いいことも悪いこともありました。
いいことは1994年のJFL優勝、Jリーグ昇格。2011年ACLに出場。
逆に悪いことは2001、2006年の降格です。

個人的な思い出は
1995年Jリーグ昇格1年目の1月1日天皇杯決勝ベルマーレ戦。
0-2で負けました。
Jリーグのチームを3つ倒してやった感はありました。
しかし決勝で腑抜けに。
戦えていませんでした。




2000年5月27日、頭から消えません。
自分たちが勝たせきれなかったという感覚です。

罪悪感を感じました。

点を取らせることが出来ませんでした。
戦えていませんでした。

そんな中で2001、2006年降格のつらい時期も味わいました。
その間に仕事で東京勤務になりました。
今はほとんどセレッソの試合は観れません。
キンチョウスタジアムは2回しか行ったことがありません。
でも活気があって頼もしいですね。

個人的な想いとしては、今年は20年の節目の年なので優勝したいです。

 

 ―「あっ」と思ったときには行動に移す
~思った時に行動することを大切に。
年齢、立場的にできないこともあるが、 セレッソのためにできることをやりたいです~

 


僕の座右の銘は、
「物事には全て理由がある」
「習うより慣れろ」
です。

セレッソ大阪にモノ申す」という掲示板を作りました。
2ちゃんねるで炎上もしました。実名報道などもされました。


普段は2ちゃんねるは見ませんが、
この前ちらっと見たら、
「長居のスタジアムに行ったら東京からI庭が来ている。」との書き込みがありました。

1999年にANIMO!セレッソ というラジオ番組で、
衆議院議員山本太郎さんなどと一緒に5~6回ラジオ出演しました。
スタジアムに来てもらうためのきっかけ作りをしていました。

セレッソの選手と仲がいいと思われていますが、
個人的な繋がりはほとんどありません。
わざと距離を置いています。
練習場にも行かないし、選手にも話しかけません。

2007年U-17 ワールドカップ韓国開催に
柿谷が出場したフランス戦を見に行きました。

柿谷のゴールがクローズアップされていますが、実際は途中交代しています。


試合後、柿谷がセレッソサポーターに挨拶に来た時にうなだれていました。
心配なので、めったにしないバスの出待ちに行きました。


柿谷がうなだれていたので、思わず柵を乗り越えて慰めに行きました。
こんな風に、考えるよりも先に行動してしまいます。

スルガ銀行チャンピオンシップ という大会があります。
南米のカップ戦優勝クラブとナビスコカップ優勝者が戦う大会です。

2008年から開催で第一回がガンバ対アルセナル戦。
長居で開催することになったのですが、長居での試合に不満がありました。

ガンバが長居を使うこともだが、なぜ長居でやるかの説明がない。

セレッソの事業部長に質問しました。
セレッソ側もずっと言い続けているが、日本サッカー協会が決めたので仕方がないと言われました。

東京にいて、いてもたってもいられなかったので、
日本サッカー協会にノンアポで行って、運営委員長の田嶋さんに会いたいと言いました。
受付の女性が困っていたので、警備員が集まって来ました。

電話してしばらくしたら、男性の方が降りてきて、名刺交換をしました。
当時、事業部部長代理だった奥田さんと30分ぐらい話をしました。

僕の質問に対して、説明をしてくれました。

スルガ銀行チャンピオンシップは4万人の屋根付きスタジアムである必要がありました。
選択肢は2つ、神戸か長居のどちらか。
田嶋さんが決めた、と。

長居はセレッソの聖地。
(ホームのゴール裏を)ガンバに使用されるのは嫌だと言いましたが、

話し合いの末引き下がりました。
結局試合は長居で開催されました。

あの時もっとやれていた。
もっと自分に力があればと感じます。

その後、セレッソの宮本さんから連絡がきて、
「無茶するなよ」と言われました。

思った時に行動することを大切に。

年齢、立場的にできないこともあるが、


セレッソのためにできることをやりたいです。

今ならクラブの成績もいいので好きなことができる。
すぐに行動に移れるサポーターでありたいです。

 

f:id:restart0814:20190925110526j:plain

 ―サポーター人生を考えよう
~応援を通じて、サッカーを通じて、つながりの社会、この社会を広げていきたい~

 


Jリーグができて22年目、
たかだか20年ぐらいで人生を語るのは難しいが、
みなさんの参考になればと思います。

サポーター人生とはなにか?

今年で44歳になります。
サポーター、ファンとのつながりが、 自分の人生の中での影響力が大きいです。

ここにいるメンバーでも10代~高齢まで幅広くて、老若男女様々ですね。

お年を召した方に怒られることもあります。
会社では立場があるので中々怒られませんが、 スタジアムではよく怒られます。

この会を企画してくれた人も含め、 若い子たちが成長していく様子に、 純粋なサッカーの見方を学ぶこともあります。

C6(※サポーターユニット)もずっと応援してくれています。

セレッソサポーターだけではなく、人生についても階段を登ってきました。

今でも子供扱いされることが多いです。

鬼武さんの奥さんに40歳超えた今でも「お菓子食べ」と言われます。
20歳ごろのイメージのままで、子供のように見られています。

小学校低学年のころにこういう社会経験をできるのは影響が大きいと思います。


サッカー以外の因果関係のない大人と、
応援を通じてつながって、そこで怒られたり褒められたりします。
それによって社会の仕組みを学ぶ。


村や町が衰退する中で、
応援を通じて、サッカーを通じて、つながりの社会、
この社会を広げていきたいですね。

 

 ―蹴球堂誕生秘話
~長居にサッカー文化と交わって、やっていけるお店を作ろうと思いました。~

 



2000年5月27日の試合から数年経って

声をだして選手に届ければサポーターと思っていたが、
応援をする=サポーターという認識は正しいのかと、
大人になって思うようになりました。




セレッソと、選手と、サポーター同士、 街と、
どうつながるのかを考えるようになりました。
イデアや、やりたいことが増えてきました。

そして、いろんなできごとがありました。
2003~2005年頃には、仕事で近い将来東京で勤務する必要が出てきました。
東京に行ったらおそらく帰ってこられない。

セレッソ大阪と自分と大阪との間に印を残して、東京に行きたいと思いました。

東京でもセレッソに役立つにはどうすればいいのか、
セレッソ大阪への還元のしかたを考えていました。

蹴球堂ができたのは2006年です。
枡田さんにすごく相談しました。

自分は出来がいい(?)ので出世して、収入も増えました。
セレッソに投資ができる。
セレッソユースの育成がいいのでは思っていました。

きっかけは1998年頃の藤井さんが社長の時代、
バイエルンミュンヘンと業務提携していたこと。

 

(余談)
藤井さん(元社長)から昨日、
「明日行けない。残念です。」と連絡があった。
北海道日ハムのキャンプがあるらしいです。

当時バイエルンミュンヘンのケルンさんがセレッソに来ていて
食事をする機会がありました。

ユースの監督の足達さん(現AC長野パルセイロのスポーツディレクター)から
「ユースをもっと見に来て欲しい。」と言われました。

 

(余談)
自分はアディダスが好き。
「ミズノ着ないとは何事だ」と足達さんに怒られたこともあります。

ユースをもっと強くしたいと思っていました。
そのためにお金を使う、スポンサー制度がありました。
基本は、企業が年間50万円ぐらいを出してセレッソの底上げをするものです。

最初は、蹴球堂をオープンさせる気はなくて、
毎年50万円を出すつもりでいました。

しかし、宮本さんから
「この制度はうまくいかない。やめておいたほうがいい。ユースを支援する組織を作る。」と言われました。

それでユースではなく他のことにお金を使うことにしました。

そして、ハナサカクラブができてユースが進化しました。

では、お金をどう使うか。

元々あったお店が応援することはあったが、続く店、続かない店がありました。

そこで、長居にサッカー文化と交わって、やっていけるお店を作ろうと思いました。

ちなみに「蹴球堂」の名は意図があったわけではないです。
横文字のお店が多く、嫌だったので漢字の名前にしました。

2006.5.27に蹴球堂オープン。

今年で8年。

みなさんにお越しいただき、スタッフ一同喜んでおります。

 

 

 ―サポーター生とは
~自分はどうありたいかを考えると、もう一歩踏み出せるようになります~

 

 

若いころはどうしたらいいか考えていませんでした。
30過ぎてセレッソとどう歩んでいくかを考えだして、手帳などにアイデアを書いていました。
それを行動に移していったことが、 自分のサポーター生につながっています。

とは言え、横槍も多かった。
スタジアムマイスターの方と東京で2人で飲むことが多いですが、よく「クラブに入れ」と言われるが、正直その気は全くないです。


サポーターとしてどう支えていくかしか考えていません。


自分はセレッソのオーナーになりたいです。
無理かもしれないがサポーター人生の夢の1つ。
みなさんもセレッソとどう歩んでいくかを書き出すといいと思います。

夢でもよくて、実現可能性はどっちでもいいです。
自分はどうありたいかを考えるともう一歩踏み出せるようになります。

たぶんオーナーにはなれないでしょう。
しかし夢をもってやっていきたい。

 

 

 ―気負わず継続して楽しむ
~サポーターは、選手と一緒に戦って、勝った負けたを感じ、
いろんなものを背負うことが多いです。
でも、楽しんでやることが一番だと、最近は感じます~

 

 

楽しむことが一番だと思います。
サポーターは選手と一緒に戦って、勝った負けたを感じ、いろんなものを背負うことが多いです。

しかし気負いすぎず、継続してやっていきたいです。

自分はいい加減で典型的なB型。やることは早いけど継続しない。
あとは誰かがやってくれると思っています。

しかし、応援しているときは背負わなければいけないと思っています。
ゴールを取らせるための応援などをやろうとします。

でも、楽しんでやることが一番だと、最近は感じます。

今、セレッソは調子が良くて強いです。 応援も盛り上がっていますね。

年間2試合ぐらいしか生で見られませんが、 帰ってくると応援がものすごいと感じます。
楽しんでやっていってもらいたいと思います。


リーダーは背負わないといけないという感覚があり、
応援をどうするかが仕事だとか、試合をどうするかとかを考えてしまいがちです。


個人的な意見で失礼かもしれませんが、

リーダーは応援を一体化することがやるべきことではなくて、
試合と応援を一体化することがやるべきことだと思います。

やり方は僕もわからないが、
常々追い求めていくべきことだと思います。


今は年間120試合ぐらい試合を見ます。

ヨーロッパのサポーターは応援をほとんどしていません。


声を出したから応援なのかどうか、文化の違いもありますね。
しかし、試合の盛り上がりのかけ方はちゃんとしています。
そういう部分をリーダーは考えているのだなと分かります。


試合とサポーターが一体化する応援、そんなリーダー像がいいと思いますね。


●長居第二問題 ~リーダーの難しさについて~


1994年JFLで優勝し、1995年Jリーグ1年目 、
1994年はメインで応援していましたが、
1995年からはどこで応援するのかが問題になっていました。

最初のポジションはバックスタンド左端になりました。
メインスタンドから降りたらゴール裏にいけるイメージがあったので、決めている人たちと揉めました。

当時はゴール裏に太鼓持ち込み禁止となり、持ち込もうとすると警備員に止められる状況でした。

どこでどうやって応援するのか話し合いがありました。

自分は短気で納得いかないと席を外してしまいます。

その時残ったメンバーに向かって言われたことが、
「お前らのリーダー出ていったぞ。お前らどうすんねん。」
そう言わせてしまったことに対して、 リーダーって難しいと感じました。
自分はリーダーだとは思っていませんでした。
今も忘れられない言葉です。

 

 ―背負わない
~一人ひとりが戦えばいいんです。
全員がサッカーを好きでありつづけること、 それが素晴らしいチームを作ります~

 



応援をリードする人は必要です。
試合の流れに合わせて応援をどうするかをリードすること。

しかし、背負う必要は全くないです。 一人ひとりが戦えばいいんです。
全員がサッカーを好きでありつづけること、 それが素晴らしいチームを作ります。

その中でリーダーが応援をリードして、 試合と一体化することが大切です。
応援をできる楽しみが、 サポーター人生であれば、死ぬまで応援を続けられると思います。

 

 

 ―最後に
~次の40~50年をつくっていくために、
今日集まってくださった人や、サポーター、クラブ、選手、市民一体となって、
アイデンティティを広めていく。 僕らの存在意義をつくっていければいいな、
という想いがあります~

 


盛りだくさんの話をしてしまったので、わかりづらかったかもしれません。
20年ファンをしていたらいろんな思い入れがあります。

今はSNS、ブログなど表現できるようになりました。
人との繋がりも多いです。

この先もサポーターは20年30年続いていく。
100年続けていくことは難しい。 100年後に自分はいません。

自分が務めている会社は創業90年だがこれは中々大変なことです。

自分の家族だけではなく、サポーターとのつながり。
今年はセレッソ20年で、21年の次は30年。次は40年。

きっとサポーターのアイデンティティは残っていく。
記録にも記憶にも残ります。
大半のサポーターは記録には残らないが記憶には残ります。
きっとこの場にいることも記憶に残ります。
それが次のセレッソアイデンティティにつながります。

みんなで楽しんでセレッソを味わっていきたいですね。

次の40~50年をつくっていくために、

今日集まってくださった人や、サポーター、クラブ、選手、市民一体となって、
サポーター・アイデンティティを広めていく。
僕らの存在意義をつくっていければいいな、という想いがあります。

自分は文を作るのが好きです。
いい英語が見つかったのでそれを紹介します。
発音はヘタですが、

「We will always be here,ever.」
僕らはいつでもここにいる、ずっと。

セレッソアイデンティティを広めていきたいです。
これで話を終わります。
長きに渡りありがとうございました。
SNSのフォローもお願いします。

 

f:id:restart0814:20190925110520j:plain

 【質疑応答】

 




Q.フォルラン獲得についてどう思いますか?

最初はどうせ嘘だと思いました。

1990年代にもバティストゥータロマーリオが来るという噂がありました。

レネ監督の時代にシーフォがくるかもしれないとなったときに、

来なかったので今回もそれだと思ったら本当でした。

W杯得点王でヨーロッパでも実績出している。しかもかっこいいですね。

みなさんサインもらってください。

それぐらいです。

 

 

(司会)

フォルランさんも喜ぶと思います。

 

 

(会場爆笑)

 
Q.セレッソサポーターで一番嬉しかったこと、辛かったことは?

こういう場をセッティングしてもらったことが嬉しいです。

自分は寡黙な方だが、本を読んで、歴史はちゃんと伝えていかないとと思いました。

辛いことはあまりないです。周りの人が助けてくれますから。

 

 

 

Q.セレッソ立ち上げから今にあたるまでのサポーターの変化、

地域密着における姿勢の変化で感じることは ?

Jリーグができてサポーターの文化が出来ました。

昔はまだまだ応援する=サポーターでした。

 

 

 

東北の震災など、今のサポーターの行動力は感銘を受けます。

 

 

当時もやっていたが、今はうまくいくように計画してすぐに動けます。

 

長居という街が、サッカータウンとなることを考えていたが、なかなかうまくいってないですね。

確かに商店街などは盛り上がっていますが、文化はまだ根付いていません。

 

サポーターが中心となって、地域密着でサッカータウンにすることを考えている。

 

地域貢献、ボランティアだけでなく、サッカーと触れ合う瞬間を増やせるといいなと思います。

 

 

Q.立ち上げのころの未来予想との差

立ち上げた感覚はなかったし、未来予想もありませんでした。

最初は、アントラーズなどの街興しなど、Jリーグで盛り上がったのはうらやましかったです。

 

人のやることの逆をやりたい気質の大阪だからできること、そういったところうまくやればいいと思います。

 

かつてとは、いる人も違うので同じわけにはいかないですが、

それでもアイデンティティが受け継がれれば、素晴らしいと思います。

 


Q.西澤明訓選手の応援はどんな経緯で誕生した?

覚えてないです。特に何も考えてないです。

ちなみに森島さんの応援も、一気飲みのコールから居酒屋で作りました。

裏話で「モリシのゴールが見たい」というお皿を作る話があって、「使ってもいいか?」と聞かれました。

お皿は、実際に作られたらしいです。

 

応援は個人のものではないと思います。

 

 

 

当時は話題になりました。

普通は「決めろ」だが、僕らは「見たい」と懇願タイプです。

 


Q.これからを担うサポーターを育てるのに必要なもの

知らないです。

育てるものでもなくて、勝手に育つものだと思います。

人のふり見て・・・の部分ですね。

サポーターは兄弟でも同級生でもなくて赤の他人です。

サッカーしか繋がりがないです。

あれもこれもでは、ぎくしゃくするので、サッカーの関係が続けばいいです。

同い年なんて言われなければわからないし、年齢なんて関係ない。育てるなんておこがましいと思います。

 

 

Q.今の応援はどうですか?本当に選手の力になっている?

応援って誰のため?何のため?

いいか悪いかは判断できないです。

すごく盛り上がっていますね。

去年2試合見たが10年前とは感覚が違います。

 

 

 

すごく盛り上げ上手です。

 

個人的な意見だが、応援が選手のためになっているとは思っていません。

 

 

しかし疲れている選手の足はなかなか出ないからこそ、

その一歩を出させるための応援はできます。

 

その応援を90分続けるのは無理なので、

選手の状況を見て、応援ができる最後のひと押しができるといいと思います。

 

例えば一昨年の最終節川崎フロンターレ戦のときのゴールの時の応援。

試合は見てないがサポーターが取らせた点だとテレビから伝わってきました。

気持ちが入れば選手も反応するのだろうな、と思います。

 


Q.Jリーグ参入の経緯は?

知りません。セレッソに入って聞いてください。

 


Q.本当は何者ですか?

フツーの社会人です。

朝起きて夜寝ます。6時間は寝たいです。

アウェー戦の車に乗ると、必ず寝ると言われるが、寝ていません。

 

安全を祈っているんです。

起きろと言われればすぐ起きます。

サービスエリアで3回に1回は起きます。

フツーの人でたいしたこと言えないです。

意見は参考程度にしてください。

 


Q.現在の職業とこれからのクラブとの関わり方は?

職業はIT業の経営層です。

蹴球堂では、ほぼ何もしていません。

今年44歳であと16年ぐらい働きます。

おそらく僕らが老人になったときは、あまり年金も出ないので、お金を貯めることを勉強します。

頑張っていきます。

 


Q.蹴球堂で20周年おすすめグッズは?

ないです。セレッソ次第です。

常に変わっていきたくて、今日よりも明日、明日よりも明後日がいい日になるようにしていきたいです。

 

 

 

なんかあるとは思います。

店長いわくいっぱい出るらしいです。

 

みなさんに還元できるものをつくりたいと思います。

 

アイテムだけでなく生きていくなかでマッチできるもの、例えばスマートフォンアプリなど。

エンジニアがいたら面白いかもしれないですね。

 

一部あることは、J2になると蹴球堂に来る人が少なくなる。

だから落ちないようにして欲しいですね。

 

 

 

以上

ご意見、ご感想、講師への激励のメッセージは、

コチラからお願いします↓↓

osakasportsconference@gmail.com


司会:轟 友希  文責:河野 文弥  編集:盛江 佳史