SAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログ

元ゴール裏住人が、選手に一番近いSAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログです。普通の人よりセレッソ大阪を好きだけど、人生をかけるほどではない。単に好き。それ以上でも以下でもない。

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「とりあえず謝る」の効用について

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時代はストレス社会である。ストレスを発散させるため、人は正義の名の下に他者を攻撃する。

 

「みんなが言っているから」

「悪いのはあいつだから」

 

そういう集団心理は怖い。

 

2019年に入り、何回「炎上」という事態が起こったであろうか。そして対象の炎上を確認すると、まるで飽きたかのように次のターゲットを探し出す。

 

正直うんざりである。

 

 

話題を変えよう。

 

日本には「馬鹿につける薬はない」と言う諺がある。私はこの諺をずっと不思議に思っていた

 

「馬鹿だからこそ、薬をつけるべきなのではないか。あるいは開発すべきではないか。」

 

と。

 

あらかじめ断っておくが、本稿で述べる馬鹿とは学力の多寡を意味するのではなく、「自らの意志で、繰り返し迷惑行為をはたらき、人を不快にさせる人物ならびにその集団」と言う意味で使用している。稀に「うち天然やからぁ~」と執拗にアピールしてくる養殖モノの馬鹿もいるが、そのような人物は本稿の対象外とし、天然モノの馬鹿について述べていきたいと思う。

 

なぜ馬鹿に薬をつけたくなるのか。

 

シンプルに馬鹿は自力で迷惑行為を止めないからである。公権力等が介入しない限り人様を不快にさせるからである。「ひとにめいわくをかけてはいけないですよ」「はーい」というのは、小学校で履修する道徳科目の最重要点であるはずである。だが、なぜか馬鹿は繰り返し繰り返し何度も人様に迷惑をかける。もしかしたら児童時代に好きな女子に相手をしてもらえず、承認欲求を拗らせてしまったのかもしれない。そのあたりはたいそう気の毒であるが、私にはどうしようもできない。また、時間は元に戻らない。

 

馬や鹿と言うより、鶏並みの記憶力しか持っていないのかもしれないが、なぜ馬鹿な行為を繰り返せるのか。その理由が外部からは理解できないのが馬鹿の恐るべき点である。馬鹿は馬鹿自身でも自分が馬鹿だと言う自覚がないので余計にタチが悪いゆえに馬鹿なのである。重篤な馬鹿は、なぜか火に油を注ぐという行為を行いがちであり、その行為がまるで良い事をしているかのようにアッピールする(SNSへの投稿とかね)。


平均的な日本人男性が1年間で使う馬鹿と言う単語の使用限度を既に使い切ってしまった気がするが、「とりあえず謝罪」などは、「この行為者は馬鹿者だ」と認識されがちな行為の1つである。船場吉兆のささやき女将や、吉本社長の笑ってはいけない記者会見などが代表例であろうか。

 

私が直近で目撃した事例でいうと、「リスペクト宣言を遵守します・尊重します、誤解しないでね。大切な時間に騒いでごめんね」が重要なのに、なぜ謝罪するのか、誰に謝罪するのかを見誤り、とりあえず謝罪を繰り返す、とりあえず謝っとけと言う雰囲気を隠そうともしない点だけは、偉大なる先輩方から学んでいるようだ。違う、そこじゃない。

同じ文化圏であるにも関わらず、偉大なる先輩方から何を学んだのであろうか。他人から学ぶことができないのも馬鹿の特徴であるように思う。さらに偉大なる先人たちと異なり、world wide webでの声明という後に残る形にしてしまうと、見れば見るほどじわじわとこみ上げてくるから苦痛である。まるで酢昆布のように。

 

誤解を恐れずにいうと、私自身は自チームの選手がブーイングされたから謝ってほしいわけではない。ブーイングという行為自体は、ライバルチームの重要な選手に対して行うのはある意味当然だと思う。

 

問題はタイミングである。

 

フェアプレー・リスペクトと言うスポーツの素晴らしい理念。それを重視する試合の日にもかかわらず、重要な儀式が行われている最中に、ブーイングを飛ばすことが世の中的にどういう結果をもたらすか想像できないということがアレであるように思う。

 

ちなみに、普段はほぼ公害であるメガホンおばちゃん(学名:レッツゴーおばさん)ですら静粛にするぐらいの儀式である。


本稿を書いているのが深夜2時。いい加減眠いので話題をコロコロ変えて恐縮であるが、その昔、叱っておじさんに叱られたことがあった。(なお、次段は本論に全く関係ないので読み飛ばして頂いても一向に構わない)

 

その中年男性は、道行く人を呼び止めようと試み、俺を罵ってくれ、俺を罵ってくれと、だれかれ構わず懇願していた。当然ながら断られるのであるが、当時その土地に不慣れであった私は、不覚にも足を止めてしまった。必死に、懇願してくるおっさん vs おのぼりな私。今思い出しても地獄である。私は、普通に「いやそんなことできないです」と言ったが、その中年男性は、私の両肩をつかみさらに懇願してくる。いったい前前前世でどんな悪行を働いたらこうなるのか。なぜなぜなぜなんだ、なぜ俺を叱ってくれないんだ、と言われ流石に私も怖くなってきたが、ほんと勘弁してくださいと繰り返し断った結果、当該男性はついに怒り出してしまった。そもそも道中で赤の他人に対して叱ってくれと言う行為自体が馬鹿だと思うが、叱って欲しいと言う目的を達成せず、逆に自分が怒り出してしまうのは、本末転倒である故に馬鹿であると言わざるを得ない。

 

直近の事例で、先方のホームページを見たときに、不覚にも上記事象を思い出してしまい、今日1日が辛い気持ちだった。

 

そもそも県庁所在地に所在しないにも関わらず、県庁所在地を名乗られている時点で、私どものコンプレックスをご事情ご賢察のほどよろしくお願いいたしますと言うことなのかと思い、当方としては察してはいたつもりであったが、今回は流石に想定外の行為であり、その的外れ感は個人的にリスペクトに値する。

兵庫県に在住している方が全員神戸人ではないし、神奈川県在住の方が全員横浜人ではないのと同様、吹田市高槻市大阪市と別の地方自治体である。

 

また、サッカーの試合の勝敗はあくまでも双方の得点の多寡によって決まるものであり、ブーイングをはじめとするファン・サポーターの行為云々はおまけにすぎない。先方は海外事情に通じているとお見受けするので、ぜひとも尋ねてみたいのであるが、海外では応援の勝ち負けによって、チームに勝ち点がボーナスとしてもたらされる事例があるのであろうか。ぜひともご教授いただきたい。


前段の事例を知らないまま恐縮であるが、少なくても静粛にすべき時間帯にそれに反するような行為をすることは、勝ち点剥奪の可能性はあれど、勝ち点を得る結果にはつながらないことがなぜわからないのだろうか。あっ(察し以下略


それにしても、正直申し上げて、先方のブーイングはものすごい迫力であった。あの迫力の源は何か。

 

当方に関する事項を目にするたびに、先方がブーブーブーブー言ってしまうのは、単に語彙力の問題かと思っていた。ただ、あまりにも切羽詰まった迫力なので、もしかしたら先方は人間態をしているがその中身はかわいいかわいい子豚さんであるのかもしれない。千と千尋の神隠しはファンタジーだとばかり思っていた。

 

そうなると合点がいくことがある。事あるごとに先方は我々のことを豚だ豚だと言ってきてずっと不思議に思っていた。(一説によると、色がピンク=豚色説や、昔の練習場が豚に縁があるから、とは聞いたことがある)

ただ、上段の事情を鑑みると、あのブーブーや豚発言は、もしかすると仲間に助けを求める悲痛な叫びか、仲間を見つけた喜びの発露だったのかもしれない。もしくは豚社会での時候のあいさつ。

 

ただ結論から申し上げると、誠に遺憾ではございますが、私どもはれっきとした人間であるため、豚語で話しかけられてもご期待には添えかねることを申し上げたい。日本語でおk

 

さて、長々と書いてきたが、先方におかれましては、本日がサッカーの試合結果にて勝利することを祈念している。というのも先方の本日の対戦相手は、当方の上位争いのライバルである点が1つ。先方に別のカテゴリーに移動されるのは当方としては興行的に迷惑を被るからである。

 

前稿に続いて長々と書いてしまい恐縮である。再発防止に努めてまいります。