目標と信頼と存在意義
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札幌戦はDAZNで見た。
生以外では久しぶりの家族以外との観戦である。
口が悪くてひねくれているので、誰かと一緒に観戦する際にはどうしても気を使ってしまう。
スコアを見れば、「攻撃的!」なんだろうが、Footballは攻撃と守備が一体のスポーツである。90分ずっと相手ゴール前に迫れるわけがない。そんなの常識だと思っていた。おどるポンポコリンである。
でもそうではないようだ。世界は自分中心で回っているわけでない。おどらないポンポコリンもあるのだ。
つまるところ「堅守」や「攻撃的」は結果論でしかないように思う。
結果論?方法論?
最終的には「勝利こそあれ」だと思うのだか。
選手が生き生きとプレーしている。
今シーズン序盤のようだ。
目標があるから頑張れる。
頑張っていると手ごたえを得れる瞬間がある。
手ごたえがあると続けれる。
続けられるとさらにうまくなる。
だから、ヴィジョンと継続性は大事だ。
このチームの柔軟性が楽しみだ。
「今日はどんな姿を見せてくれるのか」と思う。
安心して試合を見れるのは大きい。
失点や負けに慣れてしまうと、すべてが甘くなる。
ロティーナとイヴァンのおかげでサッカーを観る目が肥えた気がする。
今はテンションを盗まれている。
盗むのは塁だけにして欲しい。
footballはカリオストロではない、
新監督について。
名波さんやアギーレや黄さんはどうなったのか。
小菊さんなのか。
ぴったり報道が止まってしまった。
ネタ切れか?
そんな店は閉店ガラガラしてほしい。
シャリだけ出すのは寿司屋ではなく、おにぎり屋ですらない。
20年前にゴール裏にいたときは、
「俺のセレッソ」って思っていた。
そして、そう思っている人たちが周囲にいっぱいいたように思う。
今は「みんなのセレッソ」になっていると思う。
そうなることは喜ばしいことだと思う反面、寂しさもあった。
食塩水の濃度を求める問題だ。
私は塩。クラブは水。
いただいたアンケートを分析している。
回答者の皆さんが、契約満了の支持・不支持問わず、クラブを信頼していた(る)のを感じている。
少なくても、ここ数年はクラブや選手と価値観を共有できていたのかな、と思う。
だからこそ、マスコミ報道に対し「裏切られた」と感じられたのではないかな、と思う。
「プロが決めたことなんだからサポーターは信じるべき」という意見もある。これもまた信頼の話である。
「財政上の問題では?」との意見も多く見られた。
「財政上の問題なら正直にそう言ってくれればいい」おっしゃるとおりである。
「財政上の問題なら正直にそう言ってくれればいい。そしてクラウドファンディングしてくれたら絶対に応募するに」という意見もあって感動する。
そう考えると「みんなのセレッソ」も悪くない。
せっかく信頼があったのに、である。
信頼がないと、裏をよんでしまう。
疑心暗鬼になってしまう。
あることないこと言われてしまう。
結局は自分に跳ね返ってくる。
「わくわく」する瞬間は人それぞれ。
ましてや今は「みんなのセレッソ」なんだから。
「勝利」を喜ばない人がいるんだろうか。
いるんだろうな。
踊らないポンポコリン。
ネタに走らず、たまにはつらつらと書いてみた。
と、最後になってこんな問いが浮かぶ。
「セレッソ大阪は、誰のために、何のために存在するのか」
少なくても、誰かひとりだけのものではないはずだ。