SAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログ

元ゴール裏住人が、選手に一番近いSAKURAシートからセレッソ大阪を見守るブログです。普通の人よりセレッソ大阪を好きだけど、人生をかけるほどではない。単に好き。それ以上でも以下でもない。

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セレッソ大阪はどこに向かうのか・柿谷曜一朗はなぜ移籍したのか

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晦日におはようございます。

12月になって大量に溜めてしまったモヤモヤについて、一気に吐き出したいと思います。少々長いですがお付き合いくださると嬉しいです。

 

【改めてセレッソ大阪というクラブについて】

今回の一連のゴタゴタ、選手の退団や加入をめぐる議論を見ていて、改めて以下のようなことが私を含めたセレッソに携わる人々に浸透していなかったのではないか、と思います。(お前だけじゃ!と言われたら返す言葉もございませんが・・・)

 

※「→」は例示というか思い付きでの分類です。補足・指摘は大歓迎ですが、クソリプ止めてね。

 

・ミッション

→クラブは誰のために、何のために存在するのか

 

・ビジョン(長期的目線)

→クラブはどうあるべきか(トップチーム・育成組織・スポーツクラブ関連etc)

→チームはどのようなコンセプトで戦うのか

→背番号8をつけるに値する選手とはどんな選手か

 

・中期目線

→ビジョンに照らして、監督・コーチを誰にお願いするか(TOP・下部含む)

→誰を中心としたチームを作るか

→背番号8はどの選手がつけるべきか(誰もつけないほうがいいのか)

 

・短期目線

→単年度の選手補強はどうあるべきか

 

上記のように整理してみると、下部組織については、ビジョンを持って取り組まれていたと思います。

ハナサカクラブ・スポーツクラブの設立は「トップの成績・予算に関係なく、育成に専念できる環境を作る」だったはず。

現に、ここ数年で何人が他クラブを含むとプロサッカー選手になれましたか?という点では、成功していたんじゃないでしょうか。(もちろん完璧ではない点もあったかと思いますが)私の知る限り、不祥事を起こした選手もいませんし、いい指導者がいる組織、という印象です。

 

トップチームのビジョンに関しても、クルピ元・次期監督の「良くも悪くも選手に依存するチーム作り」からの脱却をはかり失敗・降格した2014年から、紆余曲折はありましたが、尹監督→ロティーナ監督の人選の流れとしては一貫性がありますし、チームのコンセプトも進歩していたと思います。「90分通じてゲームをコントロールし、勝ち点獲得の確率が高いプレーをチームとしてする」なんて言葉、2010年の自分に言っても信用されないでしょう 笑。(チームコンセプトの進化は、もしかしたらたまたまつじつまが合っただけなのかもしれませんが・・・・・)

成績に関しても、2017年の2冠はもちろん、J1に復帰してから、2回もACL出場権を確保してるんですよ。さらにいうと、2010年の復帰からだと4回の出場権獲得。これはJ1クラブの中でも5位か6位のはず。(指摘されるまで知らなかった人)

選手に関しては、2016年の扇原、2018年の健勇、蛍、2020年の曜一朗の退団は残念でした。(ここについてはのちほど)

 

選手補強に関して、加入する選手を応援するのは当たり前だと思います。

一方で、その選手を獲得することの評価については、ビジョンに適合しているかどうかという基準がないと、どうしても個人の好き嫌いになってしまいますよね。もちろん、選手としては結果で黙らせれば良いだけですが。

今話題の大久保嘉人選手に関して言えば、私は良い感情も悪い感情もありますが、セレッソで引退したい、と思ってくれるなら、嬉しいに越したことはないです。一方で、長期ビジョン(育成型クラブでしたっけ?)に照らした判断として「?」と思う点はもちろんあります。(「若手のお手本に」という立場なのかもしれませんが・・・・手本・・・?笑)。さらに穿った見方をすれば、香川君にフラれ、曜一朗に出ていかれた穴埋め要因として使われているのでは?とすら考えてしまいます。(嘉人を大切に思うなら、8番ではなく嘉人にふさわしい番号があるでしょう)

 

いろいろ言いましたが、ACL出場権獲得した年の年末にこんなにもモヤモヤするのは、

「クラブのビジョンがしっくりこない(後退しているように見える)」うえに、「やっていることがビジョンと一致していない」からなんですよね。

「発展的解消→チームコンセプトを明確にし、選手に依存しないチーム作りをし、90分トータルで勝ち点を取るという監督から、選手能力のみに依存する監督にするの?」「攻撃的?→FW補強はフロントの仕事やん?」「育成型クラブ?→育成は手段であって目的ではないのでは?」「下部組織出身の選手中心のチーム作り?→25歳27歳の選手加入」etc・・・・・

 

なんやかんやでいろいろ思いますが、年が変われば新チームを応援しますよ。そんなこと声に出すことすら恥ずかしい。ただ、応援の形は変わると思いますが。

「クラブの人はプロ・素人であるファン・サポーターは黙っておくべき」という意見を散見しますが、責任・権限がないからこそ声を上げるべきなのではないでしょうか。

セレッソファンになって25年、私は「クラブの手の届かないところをフォローするのも、ファン・サポーターの役割だ」というのをゴール裏の先輩たちの姿から学んできました。会社員・研究者である今、その考えの大切さを「消費者」としてはもちろん「供給者」としても認識する日々です。

 

※12/31 12:00追記

清武選手の契約更新リリースありましたね。清武選手には感謝しかないです。一方で「同じ方向」という意味ではクラブへの不信感は拭ません。チーム、選手はもちろん応援しますが、クラブの方向性、運営については引き続き注視していきたいと思います。

(清武キャプテン兼実質監督の誕生かと妄想しております…)

 

【最後に、柿谷曜一朗について】

私個人が観察したり、他の人の話を聞く限り、柿谷曜一朗という選手は以下の4要素から構成されているように感じます。

(曜一朗から名誉棄損で訴えられたらどうしよう・・・)

 

①プレーヤーとしての柿谷曜一朗

→テクニックに自信がある。サッカーIQも高い。

②プロサッカー選手としての柿谷曜一朗

→試合に出たい。レベルの高い環境でやりたい。ファンを喜ばせたい。

③人間としての柿谷曜一朗

→人を喜ばせるのが好き。良くも悪くも『楽しんだもん勝ち』と思っている。「俺に注目せよ!」けど仲間想い。

セレッソファンとしての柿谷曜一朗

→クラブへの愛着・森島選手の偉大さ・背番号8への自覚

 

そもそも、柿谷曜一朗セレッソ大阪でプレーする意味や夢といったものは、「セレッソの育成組織出身の選手たちが中心となって、セレッソにタイトルをもたらすこと」だったと推測しています。それを踏まえて2016年以降の曜一朗を追っていきたいと思います。

 

2016年の曜一朗は、①~④がほとんど満たされていた理想の状態だったように感じます。プレー面はもちろん、太陽のような選手、理想のキャプテンだったように思います。(シーズン終了のセレモニーで大熊監督をフォローするキャプテン曜一朗は本当にかっこよかった)。一方で、大怪我をしてしまったにも関わらず、④の立場から無理して試合出場をし、以降数年、選手生命を縮めかねない状態になってしまったのは残念に思います。そして一緒に夢を追い続けた扇原選手のシーズン途中の移籍も、思うことがあったのではないででしょうか。

 

2017年は、前年の怪我の影響で①については不満足、②③についても違和感をもちつつ、④の立場を徹底し、タイトル獲得に貢献してくれたのは記憶に新しいですね。

 

そして2018年、「長期的なセレッソのことを考えて」、クラブは2017年の戦い方からの変換を試みます。一方でその戦い方は尹監督が得意とする形でなかったのは事実で、いろいろあって、曜一朗の①②③の立場が悪いほうに出てしまったのは残念でした。(曜一朗「だけ」が悪者になってしまったことも含めて)。シーズン途中にはガンバ大阪から完全移籍のオファー。①②の立場からほぼ移籍を決めかけましたが、④の立場から一転残留することに。ただ、シーズンオフに山口蛍選手と杉本健勇選手が退団。自身と同じく④の思いをもった2人の退団が、どのような影響があったのか?私には想像できません。

 

監督が変わった2019年、出場機会は徐々に減っていったものの、前年の反省から、加えて「長期的な視野から」、そして④の立場から、与えられた環境で最善を尽くす姿が見て取れたのは安心できました。一方でシーズン途中で名古屋からレンタル移籍のオファーがありましたが、この際も④の立場から残留を決めました。また、2016年に負った怪我の影響もこのころから消えはじめ、以前のような感覚でプレーできる姿が多かった気がします。

 

そして2020年、クラブとしてタイトルを目指して挑んだシーズンですが、コロナ禍により、イレギュラーなシーズンとなり、チームも一時的に活動を休止します。そんな中でも③の立場でファンを喜ばせようとする姿はさすがでした。プレー面では完全にキレを取り戻せたように見えました。一方で、同じポジションの清武選手のコンディションが良かった影響もあり、出場時間が限られたことは事実でした。ただ、2018年に自分が与えた影響への自覚から、自分ができることは精一杯やろうとする姿は前年に引き続いてでした。

ただ、④の立場から「セレッソ大阪の8番が試合に絡めなくていいのか?」「コンスタントに試合に出てチームに貢献するのがセレッソ大阪の8番では」「自分はセレッソ大阪の8番にふさわしいのだろうか」という疑問が芽生えてくるようになりました。そんななか届いた名古屋からの完全移籍でのオファー。前年に続いてのオファーでしたが、契約が切れるタイミングでの完全移籍でのオファーは『違約金を払ってまで獲得したい選手ではない』という意味でもありました。ただ、名古屋はユース時代にもオファーをくれたクラブであり、②の立場としては、自分を充分に評価してくれていることが伝わってくるものでした。

クラブからはダウン提示、自分には家族もいる、チームとして進化していくなかで、コンディションが理由ではなく試合に出場できない背番号8を背負った自分を許せない、そのような葛藤を抱えた中で、ロティーナ監督の契約満了が伝えられます。清武と柿谷の共存を新たなオプションとして試行している中での満了。そして「長期的視野でのチーム作り」はどうなったのか。選手から信頼の厚い監督だったのに・・・・。疑問を持ったまま出場を続けるなか、試合勘が鈍っているせいか、決定機に決めきれないことも増えました。短いプロ選手生活、一体何が正解なのか。クラブ愛に縛られて後悔するのではないか。扇原選手も、山口選手も、杉本選手も、永井選手も、その他多くの育成組織出身の選手たちは、「セレッソ愛」をもちつつも、「プロ選手としての自分」を完全に切り分けて移籍していきました。では自分は・・・・・・

 

「戻ってこれるクラブになったら、許されるなら戻ってきたいです」

いたずらっぽく笑う柿谷曜一朗が、ファンに贈った背番号8のユニフォームには、初代8番森島選手の座右の銘でる「心・技・体」と書かれていました。

 

 

今までセレッソ大阪の8番の脱ぎ方は美しいものばかりでした。その重みを理解しているからこそ苦しみ、セレッソ大阪の8番の価値を守るために、自分が嫌われることを厭わない柿谷曜一朗の背番号8の脱ぎ方は、非常に勇気のある行動だったと思います。

 

柿谷曜一朗はプレーヤーとしても、山口蛍と同様に大好きな選手でした。この2人が、海外から戻ってきたにも関わらず、まだまだ活躍できる状態で国内移籍してしまうことは残念でなりません。重く受け止めたいと思います。

 

一方で、監督が変わろうと、大好きな選手が退団しようと、クラブは続いていきます。自分たちの子供の世代が、セレッソ大阪を応援できる立場になったときに、セレッソ大阪のクラブだけでなく、ファン・サポーターのことをきちんと語れる存在でいれるようになりたいな、と思う今日この頃です。

 

来年もスタジアムで見かけたらぜひお声がけください。ただ、人見知りなのでリアクションが薄くてもお気になさらないでください 笑

 

ではよいお年をお迎えください。

 

※本文中にある描写については、複数の関係者への取材から着想を得たフィクションです。